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コラム

「新疆ウイグル自治区 タクラマカン砂漠への旅」その2

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6月16日土曜日、中国三連休の初日である。スターアライアンスメンバーである中国国際航空CAの北京&カシュガル往復チケット2枚をマイレージで予約出来たので、あとは以前利用したウルムチの現地旅行会社にて6月22日までのツアーを手配した。

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北京首都空港から新疆ウイグル自治区最大の街ウルムチをトランジットしてカシュガル空港に向かう。ウルムチでのトランジット待ち約1時間を入れて計約7時間のフライトであった。北京から同じフライトであった日本の団体ツアーの皆さんとはカシュガル空港で別れを告げて、私達夫婦は、ゲートの外で待つガイドさんと挨拶を交わした。ウルムチ市に住む漢族の女性ガイドの康さんである。今日から康さんと夫婦との3人の7日間の旅が始まった。到着時刻は北京時間16時頃、新疆ウイグル時間14時でカシュガルはお昼時ど真ん中であった。前回泊まったホテルにチェックインしたあと街の散策と夕食にためホテルを出た。まずは工芸品の観光客向けのお店が立ち並ぶ職人街を通り抜け、新疆ウイグル地区最大規模,1422年明永楽年代創建のイスラム教寺院エイテイガール寺院を初めて訪れた。寺院に入ってすぐこの寺院の名前、エイテイガールについて説明を受ける。

エイテイガールとはイスラム教寺院の格付け3段階のトップククラスの格であることを示す寺院の名称である。閉館時間の間際に入ったこともありまばらな観光客で、そのほとんどは漢族であった。荘厳かつ静寂な時間が流れる。祈りの場所礼拝堂になかでは、絨毯の座布団が整然と並んでいる。イスラム教を象徴する独特な音楽は流れていない。

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寺院をあとにして職人街、即ちお土産街を歩いてゆく、妻は果物、香辛料ショップを覗き、私は古董ショップのガラクタをところどころ覗いた。今回の旅行は和田玉であるので、余計な買い物はせず明後日以降の和田玉に備えた。まだまだ太陽が沈まない内にお腹が減ってきた。北京時間19時ぐらいである。前回のカシュガルでの食事は、イスラム教の教えの厳格な街ということでお酒を提供するレストランが限られていたが、今回は様子が変わっていた。お酒を提供しないレストランは政府から目をつけられ営業許可証が取り消されることになったようである。そのおかげもあって今回の新疆ウイグル地区旅行では禁酒の心配はなかった。初日はホテルから出たところで見つけた羊肉の串メインの小さな居酒屋風のお店に入った。お店の前の大きなまな板の上で、ガラスで囲った仕切り壁の上に吊るした羊肉をさばいて串にさしているのをみて、思わず腹が鳴ってきた。店内のテーブルではなく、外のテーブルを確保したあと定番の羊肉串を何本か注文してもらって、冷えたビールとお薦めのウイグル料理とウイグル風サラダをお願いした。やはり北京で食する羊肉とは格段に鮮度が違うのがわかる。夫婦ふたりとも至福の時を過ごした。食事が終わったあとホテルに帰る前に、明日以降のフルーツを買ってホテルに戻った。新疆ウイグルのカシュガルは、やはりグルメの街である。

6月17日の朝、本日の予定はまずはカシュガルの畜産市場のあと、車で約200キロのメルクトという街に向かう、そのメルクトで一泊の予定である。

遅い朝食を済ませたあと車で約1時間弱の畜産市場に到着した。空は晴れ渡り、西にはどこまでもクンルン山脈が見える。トラックに積まれた羊たちが次々と市場に入ってくる。

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まさに羊たちの沈黙の世界。畜産市場こそ、人間社会経済の最古の市場だと思う。その市場には、羊関連グッズがなんでも売っていた。羊、包丁、首輪、ロープ、首輪の先につけるリング、これだけ羊が並んでいるのを見ると、さすがに哀れな気持ち、同情する気持ちは沸いてこない。大昔からこうやって家畜のおかげで食欲と栄養を満たして来た人間社会の経済のエネルギーの大きさと商人の使命を実感できた。シルクロードの交易の十字路である。日本人は羊を食す食文化がほとんど無いので、羊の匂いがダメな人が多いと聞く、しかしながら新鮮な羊肉を一度口にすると1か月に一度ぐらいは、食べてみようと、あの至福を味わった際の肉汁を思い出す。私には半年に一度は食してみたくなる食材が何品かあって、中国に来てからそのカテゴリーが増えてきた。社会人になるころはビックマックとケンタッキーフライドチキンの2アイテムしかなかったが、大人になるにつれて、世界を知るにつれて、その数は増えてきた。商社マンになってよかったと思う瞬間である。この畜産市場は、ほとんど羊で90%、馬、牛で10%、豚はいなかった。いろいろな顔の羊たちの表情が処狭しと繋がれ、トラックで積み出されるのを待っていた。中にはトラックに積み込まれるのを嫌がり暴れていた羊もいた。日本人の団体観光客さんたちとも出会った。その人達の多くは日本からで、皆さんが65歳以上引退後でシルクロードのリピーターさん達であった。NHKのシルクロード第一弾、第二弾を見てシルクロードに憧れた日本人達がまたこの地に帰って来た。シルクロードブームの再来を予感した。

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6月17日の昼、カシュガルの畜産市場をあとにして、車でこの夜一泊するメルケトの街にむかった。メルクトは、カシュガルから西200キロ程度の新疆ウイグル族の伝統的な民族音楽ドランムカム踊りと農民画博物館で有名な街である。整備されたタクラマカン砂漠の公道を約3時間走り、メルケトのホテルについた。あまり外国人が来ないのと人の出入りの管理強化しているようで、ホテルから歩いて100メールの交番まで行ってパスポートチェックを受けた。そのあとドランムカ舞踊と農民画の展示場に着いた。

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その展示会場は、最初の展示物がタクラマカン砂漠探検家記念館であった。これは予想外の至福の出会いであった。名前がタクラマカン砂漠の探検家を記念する博物館であった。自称現代のトレイジャーハンターの私の気分は自然に盛り上がる。そしてその記念館に入った直後に看板に前言と記載されており、思わずスマホに収めた。まずはその前言を披露しよう。

前言(プロローグ)
人類の歴史は、探検史と開拓史が一部分を構成している。探検とは行動様式であり、精神追求である。また人類の能力の極限までの挑戦である。また精神意志の挑戦である。人類は自然智識の昇華と社会の進化は、探検の行動と精神とは相通じるものが存在する。

人類の持つ天性の好奇心と特殊な情緒、人をして冒険体験に駆り立てる。そして未知の世界の奥義の享受をもたらす。砂漠探検はファンタジーの中の現実であり、現実の中のファンタジーである。今も昔も砂漠の探検には生命の危険が代償としてさらされ、躯体と精神の摩滅に耐えること、生命の極限への挑戦、飢餓、疲労、緊張、恐怖との闘いが、砂漠探検の経験が、人類に新鮮な挑戦への快感を寄与することになる。その体験によって視野の開放をもたらし、最終的には自然と社会の未知の分野の開拓、無限の昇華への追求の精神の向上をもたらすことになる。社会歴史の複雑性と妙義の奥深さは無限である。しかしながら人類の客観世界の洞察力と知識能力は有限である。人類の進歩は、即ち絵建築中の未知の世界の不断の探索と創造精神の上に存在する。それは一部には人類文化の成功の中、世界の神秘の中の巨大な疑問符である。自然界のタクラマカン砂漠は、一切全ては謎である。ひとつひとつの経験事実に基づく才智ある解釈が出来たしてもやはり謎の解決にはならない。客観事実が的確であっても、自然と人生の謎を掘り下げ解き明かすにはまだまだ足りないのであって、もっと多くの新奇の情報を提示することが必要なのである。タクラマカン砂漠探検は起点ではあるが永久に終点なない。例え現在私達のタクラマカン砂漠探検記念館が皆の前に展覧できるものは、一部の地理の探検史のでなく、地理探検と文化探索を合わせ持った探検史であり、西域大地の探索であり、西域を知り、変わりゆく西域を知ることにある。

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張騫、班超、班勇、朱士行、法顕、宋雲、玄奘,そしてヴェネチアのマルコポーロ、近代の冒険者たち、ヘデン、スタイン等の名前が連なっていた。それぞれの歴史上のスター冒険者たちの業績が説明されていた。

麦盖提县(メルケト県)の刀郎画と木卡姆舞踊の里(農民画とムカム伝統舞踊)
そんなプロローグに心踊らされ、展示会をみながら、スター冒険者たちの何千年もの間、この地に行き、この地を交易の拠点とした民族、お役人たち、商人たち、そこでコミニューティを形成する様々な役割を担ってきた人たちに思いを馳せるといると、ようやくタクラマン砂漠、一度入ると二度と生きて戻れない砂漠の本当の意味がわかった。きっとここを訪れた人達は、この過酷な自然で生きることを知ると、その魅力と自然に身を委ねることに心地良さを覚えてしまうのだろう。と思った。

この展示場とそのあと、農民画の展示会場をみたあと、民族伝統舞踊のショーを楽しんだ。

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文:田中保成