青花草堂- 中国磁器の基礎知識 -
BLUE & WHITE TEA SALON

はじめに
北京=“美術館都市YUAN TOWN”へと誘う
いま「中国磁器の探求」の旅を

ヴェネチア、フィレンツェの街全体が中世とルネサンス美術館と称せられるなら、北京を過去、現代&未来が交錯する街、美術館都市YUANTOWNと名付けたいと思います。世界帝国を実現したチンギスカーンからその一部を継承した元のフビライカーンが、北京を世界帝国の中心とするべくその礎石を築きました。そして今現在も人々を魅了している世界遺産の街ヴェネチアからはるばる陸路シルクロードでやって来たマルコポーロが、東方見聞録で北京の入口である盧溝橋を称して世界で一番美しい橋と絶賛し、国際都市である北京の賑わいや優雅さ、そして壮大さに感動し、そのまま元の国に数年住んで各地を視察旅行しフビライハーンにレポートする仕事が与えられました。それから約1000年を経過した北京で、美術館都市YUANTOWNの一部を構成する重要アイテム、1000年の時空を超えた光を放ち、一瞬にして過去に連れて行ってくれる磁器について、私の思いを紹介してみたいと思います。

中国の磁器を賛美する表現として、蝉の羽のように薄く、玉のように白く、鏡のように明るく、はじけば磬のように鳴る。と詩によって表現されています。

このような表現の背景には、磁器の用途として玉の代替品の一面があったようです。中国アンティーク市場のスター中のスター、数千年以上から至宝として珍重された玉なのですが、やはり自然の産物として希少であり加工に高い技術が必要、そして当然ながら高価なので、為政者や貴族しか所有出来ない対象であり、庶民にとっては高嶺の花であったのです。玉を所有出来ない庶民向けに玉を模した磁器が、代替として用いられました。同様に、青磁の作品には古代中国の神器であった青銅器の代替品としても鼎や碂などの作品が見られます。青銅器は錆びるし重いので、大衆向けに広まることはなかったでしょう。そして庶民が対象であった磁器もその実用性と美しさから時代を重ねるごとに、前述の詩の如く多くの人々を魅了し宋の時代には皇帝自らその作品に口を出すようにまでになりました。次の元の時代には戦略的輸出商品までに成長しました。マルコポーロも海のシルクロードで帰路をとったと伝えられています。磁器を大量に船に積み込み、途中ペルシャやトルコの市場で転売してミリオネラーマルコとしてヴェネチアのサンマルコ広場につながる小道に名前が残るほどの大金持ちになったことは想像に難くありません。マルコポーロの実家があったされる場所につながる小道がミリオネラー通りと名付けられています。

このように中国磁器は、日常世界でも非日常世界でも、どちらで使えるアイテムです。料理、華道、茶道、酒器などなど、おもてなしでも、晴れの日のプレゼントにも、必勝祈願にも使える吉祥アイテムであり、リッチな気分になれる生活用品。
そして磁器は、作家ものではありません。近年現代になって作家ものが登場してきましたが、もともとは日用使いが目的ですから工業製品です。
工程ごとにワークショップがあり、磁石と磁土を練る人、形を成型する人、絵を描く人などなど、チームの分担作業で仕上げる工業品です。したがって、絵画、書、詩、小説等の芸術と違い作者の銘も残りませんし、その時代考証も決め手がありません。その価値を決めるのは、鑑賞する人や所有所蔵したいと思う人の美意識とそのふところ次第なのです。ある意味、絵画や書画などの鑑定はすっきりしています。作者の作品かどうかが真贋のポイントです。中国磁器の真贋と価値は別物のようです。完璧にコピーされた作品は価値を生み出します。ある時期の皇帝も最高級レベルの作品の再現を官製窯に命令しました。そのような作品はコピーとしてオークションでも高値で取引されています。
名もなき職人の作品が、その出来栄えだけで判断され、一度土に還った、或いは沈んだ貿易の船から引き上げられて修復されて、再び日の目を見る作品もたくさんあります。失われた時が再び帰ってきます。プルーストは紅茶にひたしたマドレーヌの香りに誘われ、ヴェネチアのサンマルコ広場の石畳に躓き、失われた時が帰ってきました。時をかける少女は、理科室のエーテルの匂いで、過去への扉を開けてしまいました。
あなたはその至宝を手に取ったら時を忘れその美しさに虜になり時空に吸い込まれる。そんな家宝が見つかる場所を案内します。

■NOTE
重要アイテムの筆頭である玉について

玉なる漢字の元となる亀甲文字では、横棒3本を1本の縦棒が串ざした表意文字でありました。この横棒3本は天地人を表し、一本の縄を串刺しています。これはすなわち万物を収めること,手に入れることを表象しています。したがって吉祥アイテムナンバー1です。